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151件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2019-11-12 第200回国会 衆議院 環境委員会 第2号

長島先生新潟山古志村の村長経験がありましたから、新潟中越、その被災をしたときに、まさに避難指揮をされた。そういった経験をもとに、自民党の部会の中で、瓦れき瓦れきと言うけれども、それを簡単に言ってほしくない、全ては地域皆さんの大切なものだったということを忘れずに議論しなければいけない、このことを長島先生がおっしゃっていて、私も深く感じ入ったことを今でも忘れません。  

小泉進次郎

2019-02-27 第198回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号

また、地場産業で、牛それからニシキゴイ、この産地であったわけですが、これは本当に全村避難山古志村ですけれども、ということになり、この全村避難決断、大変重かったと思います。  というのは、全村避難するということは、牛に誰が餌をやるのか、ニシキゴイへの空気は誰が入れるのか、親ゴイを失うということは全財産を失うということに等しいということになるわけでございます。

泉田裕彦

2017-11-21 第195回国会 衆議院 本会議 第6号

翌日の夜、山古志の御自宅に伺いました。長島さんは静かに横たわっていました。早いよ、長島さん、これからじゃないか、まだまだ一緒にやりたかったよ、本当に無念だったよねと語りかけました。  奥様の久子様は、皆さんに助けられ、皆さんのおかげで活動することができました、ありがとうございましたと、悲しみをこらえ、気丈に弔問の私たちに気遣い、感謝の言葉を述べられました。  

谷公一

2016-04-26 第190回国会 参議院 国土交通委員会 第8号

そして、二〇〇四年、平成十六年の新潟中越地震、いわゆる山古志村が全地域避難ということになったわけでございます。そして、すぐ三年後でございましたけれども、新潟中越沖地震、これは家屋の屋根崩壊をしておりまして、まさに青いビニールシートを一面に屋根にかぶされておりまして、その後出たいわゆる家庭内ごみ、これが空き地に山積みにされた状況を、これも目の当たりにいたしました。

豊田俊郎

2016-04-15 第190回国会 衆議院 地方創生に関する特別委員会 第8号

特に、二〇〇四年の中越地震では、大きな問題があったところで山古志村という村がありました。ここは全村避難になったはずであります。私が現地に行ったときも、当時、一時帰村のときだったんですけれども、危なくなったというので急遽一時帰村をやめて戻ってきたというようなこともございました。震災後十年で人口は半減しております。  中越地震は、恐らく死者の数は七十人弱だったと思います。

宮崎岳志

2016-04-15 第190回国会 衆議院 地方創生に関する特別委員会 第8号

○石破国務大臣 山古志村のお話は、当時の村長でありました長島代議士から私もつぶさに承っておるところであります。  また、これまた例が違って恐縮ですが、奥尻島もですよね。奥尻島は、いろいろなハードは整備をしました。港も直しました。いろいろな住宅も建てました。ですけれども、人口は物すごく減っているわけでございます。  

石破茂

2016-03-18 第190回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第3号

飯舘村の人たち山古志村を復興のモデルとしたいと言っておりますので、ぜひ、飯舘村にも来ていただいて、支援のほどよろしくお願いしたいと思います。  先ほど言ったように、国がしてあげているのと地元がやってほしいこと、それぞれギャップのないようにこれからも真剣に取り組んでいただきますようよろしくお願い申し上げて、質問を終わります。  ありがとうございました。

亀岡偉民

2015-12-03 第189回国会 参議院 国土交通委員会 閉会後第1号

和田政宗君 長島大臣山古志村の村長でいらっしゃって、本当に復旧に、復興に御尽力をされたということは私も存じ上げておりますし、私も母方が柏崎で長岡にも多く親戚がいるものですから、本当に山古志復興の在り方というものがどれだけ丁寧なものであったかということも認識をしております。  

和田政宗

2015-01-30 第189回国会 衆議院 総務委員会 第1号

高井委員 長島大臣は、山古志村の村長としてまさにそういった対策陣頭指揮をとってこられた方ですから、ぜひリーダーシップを発揮していただいて、一日も早くその対策ができるようにお願いしたいと思います。  集中復興期間が終わった後どうするんだという話は聞きたいんですが、ちょっともうきょうは時間がないので、それはまた改めて機会があると思います。

高井崇志

2014-10-29 第187回国会 参議院 東日本大震災復興特別委員会 第3号

例えば、あの山古志村、すごく私も何回か訪れて魅力的なところなんですが、二〇〇四年に地震ありまして十年になりました。先ほど副大臣が来ておりましたけど。二千二百人の人口が千百人になったと。村に帰る人は、七割戻ると言ったんだけれども半分しか帰ってこなかったと。それから奥尻島なんかは、四千五百人が二十年したら三千人になって、二〇四〇年になったら千三百人ぐらいになっちゃうとかというんですね。

寺田典城

2014-03-13 第186回国会 参議院 厚生労働委員会 第2号

例えば兵庫県では、阪神・淡路大震災の後に補助事業を創設して、児童や生徒への命の教育を行うグループ活動、あるいは民家を改修したみとりの家の運営など、住民主体地域活動支援しておりますし、山古志村では、中越地震の後、土砂に埋まった我が家が見える、その屋根が見える高台に地場産品を売る販売店を設置しまして、おかみさんたちを中心として交代制でこの運営がされています。

高階恵美子

2013-11-27 第185回国会 参議院 災害対策特別委員会 第6号

山古志村等での斜面の崩壊というのは、実はこの台風の落とした雨と複合して起きていると考えざるを得ないわけでございます。  また、首都水没というようなことが内閣府で取り上げられましたけれども、荒川、江戸川、利根川等々の水害がございます。そうした水害地震の複合というようなことも我々は念頭に置いて考えなければいけない。  

中林一樹

2013-05-29 第183回国会 衆議院 農林水産委員会 第10号

長島さんは山古志村で農家の生まれ、私も農業だ。これは、ごく一部の人は二度聞いたことがあるとか言っていたが、二度は言っていないと思うんです。一度はこの委員会でも言ったことがあると思うんです。私は、有機農業とか農薬に対しては厳しい態度をずっととり続けてきたんです。日本有機農業研究会霞が関出張所員と呼ばれていました。有機農業なんて全く市民権を得ていないころからやっていたんです。  

篠原孝

2013-05-21 第183回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第8号

先ほども申し上げましたが、新潟の例でいいますと、旧山古志村から人を救助してもらえれば、運ぶ物資の量が減るわけです。下におりてさえしまえば、ボランティアが、民間がケアはできるということになりますので、この部分を、やはりまず命を守るために公的機関を使うという対応が必要なのではないかなと。  そして、自治体側は、情報収集です。待っていても情報は来ません、通常の行政と違って。

泉田裕彦

2013-05-21 第183回国会 衆議院 災害対策特別委員会 第8号

山古志村の全村避難、これを決定した最大の理由は、道路だけではなく、通信、電気、ガス、水道、全部ライフラインが切れてしまった。山古志小学校、山古志中学校は機能していました。機能しているところから避難をしてもらうという決断をしたんですけれども、それはなぜかというと、道路ライフラインが切れたところに支援を続けるのは極めて難しい。自衛隊も今回、東日本大震災では五月ぐらいまで物資を運び続けました。  

泉田裕彦

2013-05-08 第183回国会 衆議院 東日本大震災復興特別委員会 第7号

これは、原発災害ではなくて、山古志村とか奥尻とか、自然災害のあったところは人口が激減、過疎化が加速してしまったというところでありますので、こうした人口流出、帰村がされないという状況に関して、この点について、我々国政の立場でどのようなまた対策をとらなきゃいけないのか、御所見があればお伺いしたいと思います。

小熊慎司

2013-04-24 第183回国会 衆議院 国土交通委員会 第7号

十津川のときもそうですし、山古志でもそうでありましたが、日本の場合、これが一番技術的にも応援できるということについては、かなりこれは急所になるものだということで、世界一の技術経験を持っているということで、向こうからは今要請がないわけでありますけれども、必ずできるという体制、こういうことができますからということについては体制を固めるとともに、技術支援が可能であるということを伝えてくださいということを

太田昭宏

2013-03-13 第183回国会 衆議院 予算委員会 第13号

人口流出の問題は、そういう意味では、ある意味ではこれもまた特殊な地域かもしれませんけれども、震災直後、私の地元の会津の柳津町に一時的に避難をされていた葛尾村の村長さんとお話をしたら、あそこも御承知のとおり牛で村おこしをしていた村でありますから、山古志村を見に行ったというんですね、村長さんは震災の直後に。  

小熊慎司